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おしっこダシルバ(^&^)
18 :& ◆Bsb57f2CcU :2017/08/23(水) 04:53:43 ID:???
排泄の慣習、ひいては糞尿そのものに対して、人びとがどのような感情や理解をおこなうかは、
文化によって相対的に決まる。すなわち、それらの意味づけは社会集団によってコンセンサスが得られており、
またそれは独特なものである。排泄行為とその意識は、親から子への育児のプロセスのなかで学習されてゆく。
その点で排泄体験というのは、個々人が育てられた状況や環境に大きく依存する。
その環境とは、家庭における躾という次元から、糞尿の処置や利用という社会が保有している技術や慣習の次元、
はては気候や風土あるいは人工環境を含めてエコロジカルな次元にまで広がったなかにある。
むろん、そのような糞尿との付き合いは、人類の歴史が始まって以来長い間、多様な変化をこうむってきたことは
想像に難くない。すなわち、人びとに共有されている排泄の経験は、新しい環境が登場することで
(集団が共有するレベルでは)今後幾らでも変わり得ることを示唆している。しかしながら、
排泄の体験は先に述べたように多様な環境条件の中で比較的はやい成長段階において学習されてゆくものなので
(個人のレベルでは)むしろ変化には保守的であり期待しにくい側面もある。
また言うまでもなく、社会が許容する変化の枠のなかで、排泄の体験や理解において個人差というものが
明かに認められる。従って、排泄の体験を幅広く理解するためには、<文化的に規定される体験や慣習>と
<個人の排泄体験や習慣>という 2つの視点から解釈することが重要になる。
これは看護の技術的側面において排泄現象を理解し、それを実践に役立てていこうとする時にも枢要な観点となる。

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